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急 性 骨 髄 性 白 血 病

自 己 紹 介

 私は 急性骨髄性白血病(M2)です。
1995年、阪神淡路大震災の年に 発病しました。
年間6000人ちかくが 白血病や再生不良性貧血などの 血液疾患にかかるそうです。
私は 運悪くそのうちの1人です。
でも、運良く今も生存しています。


 発病時、癌細胞98%、「覚悟してください」という告知から始まって 幾度かの重篤な状態にもなりました。
骨髄移植をまず考えられました。でも、一人っ子ですし、子供達とも 母親からも(父は亡くなっています)
もちろん夫からもHLAは 合いませんでした。
そして いろいろあって 化学治療を選びました。骨髄移植はしていません。
病気については ここでは詳しく触れませんが 知りたい方は 上田まで。


 病気になって私の人生観は 大きく変わりました。
まず、「生」と「死」を 意識して生活するようになりました。
この時、この瞬間 「死」を覚悟しています。
反面、この時、この瞬間を 精一杯生きています。


 私は 老衰で死ぬよりも 交通事故で死ぬよりも 何かの病気で死ぬよりも
白血病が再発するか、二次癌で死ぬ確率が高いだろうと思っています。
自分が描いていた「寿命」が 短くなったのは 確実でしょう。
でも、1998年12月に 治療をしなくなって 14年が過ぎました。
「治りました宣言」をしましたが 不安がなくなったわけではありません。
時々は 血液検査や骨髄穿刺(マルク)で 経過観察しています。
再発が 怖くないと言うと うそになりますが 誰でも平等に死が訪れます。
先のことがわからないから 人生面白いとも思っています。


 白血病は 治らない病気ではなくなってきました。
このおよそ17年で 随分変ってきています。
薬も随分と改善、開発されています。
移植方法も ミニ移植だとか 臍帯血移植など 多様になってきました。
将来 完治できる病気になるであろうことを祈っています。
しかしながら現在の治療方法は 化学治療であれ、骨髄移植であれ 危険で命がけの治療が行われています。
病気になってしまったことは 早く諦めましょう。 でも、生きる事を諦めないで!


 そして、生きる事を 楽しんで!


 1997年12月18日 最後の退院の日から 数えて17年目を迎えました。(2012年01月現在)発病した時にご心配頂いた皆様には「快気祝い」と称して 「治った宣言」とともに ご挨拶状を 出させていただきました。まだまだ 不安があリますが 気持ちに区切りをつけたいと 思っています。
もし この先 再発したら 発病したと考えるようにします。応援してください。
また、私とおなじ病気になってしまったあなた、私と一緒に 生きていきましょう。
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